事前調査では、真言宗寺院だが、現在では廃寺となっているそうです。従って、寺歴は不詳。近隣の民家の人の話では、元々、浄土宗寺院だったとか。堂宇は2~300年程度前のものらしいが、本尊の大日如来像は室町時代製作と推定されています。境内には地蔵堂が、少し離れた場所には岩壺弁財天社が鎮座しています。寺院よりもこの弁財天社が古く、700年ほど前に遡る縁起を有している弁財天とのことでした。
堂宇は残っていますが、現在は「廃寺」となっています
事前調査では、真言宗寺院だが、現在では廃寺となっているそうです。従って、寺歴は不詳。近隣の民家の人の話では、元々、浄土宗寺院だったとか。堂宇は2~300年程度前のものらしいが、本尊の大日如来像は室町時代製作と推定されています。境内には地蔵堂が、少し離れた場所には岩壺弁財天社が鎮座しています。寺院よりもこの弁財天社が古く、700年ほど前に遡る縁起を有している弁財天とのことでした。
堂宇は残っていますが、現在は「廃寺」となっています
事前調査では、真言宗寺院だが、現在では廃寺となっているそうです。従って、寺歴は不詳。近隣の民家の人の話では、元々、浄土宗寺院だったとか。堂宇は2~300年程度前のものらしいが、本尊の大日如来像は室町時代製作と推定されています。境内には地蔵堂が、少し離れた場所には岩壺弁財天社が鎮座しています。寺院よりもこの弁財天社が古く、700年ほど前に遡る縁起を有している弁財天とのことでした。