洲本八幡神社の境内にある、立派な和風建築物。洲本城の麓にあった、下の城の洲本御殿の玄関と書院。洲本城の遺構です。外部見学のみで、内部は公開されていません。
八幡神社と護国神社の間にあり、初めは気づかなかったが淡路が阿波藩の管轄下にあった頃に、当時の阿波藩主蜂須賀忠英が洲本に御殿を建てたそうで、明治時代に取り壊されたのを一部だけ残した書院がこの金天閣とのことです。時代を感じる立派な建築物です。
金天閣は、1641 年に阿波藩主蜂須賀至鎮によって建てられたという。江戸時代初期の書院造の貴重な建物だが、明治維新後に一部だけが移築されて、現在は、洲本八幡社境内にある。床、脇床、書院構、納戸構を備え、黒漆喰の折上げ格天井に金箔が貼られていることからこう呼ばれている。藩主の生活ぶりが伺い知れる貴重な財産だと思う。
国端彦護国神社と洲本八幡神社の間に位置していました。玄関部分と建物全景が神社然としておらず、宗教施設としては違和感がありました。もともと藩主が洲本城内に建てた洲本御殿の一部だそうです。現在は、洲本八幡神社の所有となり、県指定重要文化財となっていました。
洲本城の御殿が残っています
洲本八幡神社の境内にある、立派な和風建築物。洲本城の麓にあった、下の城の洲本御殿の玄関と書院。洲本城の遺構です。外部見学のみで、内部は公開されていません。
阿波藩主蜂須賀忠英が洲本に建てた御殿の一部
八幡神社と護国神社の間にあり、初めは気づかなかったが淡路が阿波藩の管轄下にあった頃に、当時の阿波藩主蜂須賀忠英が洲本に御殿を建てたそうで、明治時代に取り壊されたのを一部だけ残した書院がこの金天閣とのことです。時代を感じる立派な建築物です。
歴史ロマン
金天閣は、1641 年に阿波藩主蜂須賀至鎮によって建てられたという。江戸時代初期の書院造の貴重な建物だが、明治維新後に一部だけが移築されて、現在は、洲本八幡社境内にある。床、脇床、書院構、納戸構を備え、黒漆喰の折上げ格天井に金箔が貼られていることからこう呼ばれている。藩主の生活ぶりが伺い知れる貴重な財産だと思う。
洲本八幡神社所有の県指定重要文化財
国端彦護国神社と洲本八幡神社の間に位置していました。玄関部分と建物全景が神社然としておらず、宗教施設としては違和感がありました。もともと藩主が洲本城内に建てた洲本御殿の一部だそうです。現在は、洲本八幡神社の所有となり、県指定重要文化財となっていました。